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(2)約980人が眠る「高月官軍墓地」 地元の人たちが大切に管理

(2)約980人が眠る「高月官軍墓地」 地元の人たちが大切に管理

2018年2月17日
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見晴らしのいい高台に設けられた「高月官軍墓地」

田原坂の戦い当初は、「正念寺」の境内に遺体を埋葬していましたが、おびただしい数のために官軍墓地が作られました。玉東町には「高月(たかつき)官軍墓地」と「宇蘇浦(うそうら)官軍墓地」の2カ所あります(いずれも国指定史跡)。

なかでも「高月官軍墓地」は、全国35カ所、県内21カ所にある官軍墓地の中で最大規模だと聞き訪ねてみることにしました。現在は「高月児童公園」の奥にあり、細めの墓碑が整然と並んでいます。

当時、戦没者の遺体は遺族の引き取りが許されず、ここには約980人の戦死者が葬られました。天草の石が使われた墓碑には、天草の石工の手によって、氏名や出身地、所属、戦死した場所などが刻まれています。

墓碑を観察していると、「こないだも遺族の方がお参りに来ると連絡があったんですよ」と声をかけてくれる人がいました。清掃を担当する地域の老人会「絆の会」の原田猶一さん(78)です。

高月官軍墓地で出会った老人会「絆の会」の原田猶一さん

原田さんをはじめ老人会のみなさんは、時間を見つけては園内をきれいに掃き清め、植えられた桜やツツジの手入れをしています。眠っている兵士たちはもちろん、遺族の方もきっと喜ばれていることではないかと思いました。

西南戦争の激戦地は「半高山(はんこうやま)古戦場」と、半高山麓にある峠「吉次峠(きちじとうげ)古戦場」です。吉次峠を死守していたのが、薩軍に身を投じていた旧熊本藩士・佐々友房率いる熊本隊。この一戦で官軍は200人以上の死者を出し、官軍兵士はここを「地獄峠」と呼び、近づくことすら恐れていたそうです。

高月官軍墓地に掲げられた「田原坂の大戦争」の錦絵。戦闘の激しさが伝わってきます

西郷隆盛の右腕とも言われた篠原国幹の戦没地。石碑の横には大きな桜が植えられています(資料写真)

現在は公園として整備される半高山の頂に立つと、木葉山の麓に広がる町の中心部が一望できます。ちょうど正念寺の裏手に官軍の本営があり、半高山に陣取った薩軍・熊本隊は相手側の動きが手に取るように分かったそうです。

のどかな里山の風景を眺めていると、この地で死屍(しし)累々の攻防が繰り広げられてたとは想像できません。「理想の国家を作るためという思いは、薩軍も官軍も同じだったのでは」と宮本さん。今の平和な時代のありがたさをあらためて感じたのでした。

桜のシーズンはお花見客も多いという「半高山」。展望台に上れば、さらに視界が広がります

半高山の頂きから眺める玉東町。この見通しのよさは140年前と変わらないようです

正念寺・高月官軍墓地・半高山古戦場・吉次峠古戦場・篠原国幹戦没地