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(1)城の石垣にヨーロッパの意匠 ハイカラなお殿様の進取の精神

(1)城の石垣にヨーロッパの意匠 ハイカラなお殿様の進取の精神

2018年1月20日
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人吉城跡の前を流れる球磨川。早朝は、たくさんの野鳥が毛づくろいをしています

早朝の日を映した球磨川は、キラキラと水面を光らせています。川べりには、風に吹かれ首をすくめるシラサギの姿があります。こんな朝は、春が待ち遠しく感じます。

人吉市の中心部を歩けば、球磨川と胸川に抱かれるように立つ人吉城跡(国指定史跡)が見てとれます。ここは700年にわたって相良氏の居城でした。鎌倉時代の築城時に三日月の文様がある石が出土したことで、別名「繊月城(せんげつじょう)」とも呼ばれています。

つわものたちの物語を想像しながら散策すると、隠れた見どころに出合います。

お城の北側に「武者返し」と呼ばれる石垣があります。その最上部に平らな石が突き出すように積んであり、石垣をカーブさせた熊本城の武者返しとはまた違った趣向です。

これは「はね出し」という工法で、幕末の改修時に設けられました。ヨーロッパの城壁を真似て作られたものらしく、日本では数例しか見られないそうです。そんなお殿様のハイカラなセンスに心引かれます。

人吉城跡の石垣は、最上部が突き出した「はね出し」工法を採用しています

さて、人吉藩が手厚く保護した文化の一つが鍛冶の文化です。

その伝統を受け継ぐ「人吉刃物」は県の伝統工芸に指定されています。細川、島津の大藩に挟まれた相良は兵農一体の軍団でこれに備えました。平時は武士も農耕に従事、いざ戦となれば農民も武器を取り戦う。武具と農機具は時として同じ目的に使われたのです。だから城下の鍛冶技術者の育成、生産の奨励が図られました。「鍛冶屋町」という町名にその名残をとどめています。しかし、戦後になると鍛冶職人は激減、現在は人吉市内に数軒を残すのみです。

朝日の当たる球磨川の浅瀬でエサを探すシラサギ