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(2)県内2例目の日本遺産に 米どころ菊池川流域が認定

(2)県内2例目の日本遺産に 米どころ菊池川流域が認定

2017年10月21日
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震災前の「菊池渓谷」。熊本地震で被害を受け現在は渓谷に入ることは出来ませんが、来春のオープンに向けて整備が進んでいます(資料写真)

菊池川が潤す平野はコメどころで有名で、「菊池米」として全国的ブランドで知られています。

菊池川流域の米作りの歴史は古く、これに関連する史跡などが今年4月、人吉球磨に続く県内2例目の日本遺産(文化庁)に認定され、話題となりました。

弥生時代から続く米作りが、地域の歴史や文化に深く影響を与えてきており、それらが分かる史跡や物語が今も残っています。

水田の中にたたずむ菊池氏初代・則隆の館跡「菊之城跡」。サワサワと稲穂が風になびく音だけが響きます

少し長くなりますが、日本遺産に認定された正式なタイトルは「米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~」です。〝流域〟とは菊池市、玉名市、山鹿市、和水町の3市1町におよぶ広大なものです。

「日本遺産が話題になり、市民の間から、菊池の歴史を勉強したいという声も多く寄せられています。地元の『菊池米』のルーツを探る歴史ストーリーだから、身近に感じてもらえているのかもしれませんね」と菊池市教育委員会で「日本遺産」を担当する佐伯明日香さん(34)。そこで同市では、出前の歴史講座や講演会なども開催する予定です。

「保護・保存する文化財から、楽しく活かす文化財にして行きたいですね」と話す「菊池市教育委員会」の佐伯明日香さん

さて先述の「菊人形・菊まつり」でキクの花で作られるのは菊池一族の武者姿です。平安時代後期から室町時代まで約450年にわたり菊池地方を中心に栄えた一族で、現在の菊池市はその城下として発展してきました。

菊池一族の繁栄を経済的に裏付けたのが菊池川の豊富な水が潤す米をはじめとする農作物。川の水運によって京都や朝鮮半島、中国との貿易も行われました。

日本遺産となった米にまつわる史跡の一つが「菊之城(きくのじょう)跡」で、菊池氏の初代・則隆の居城でした。稲穂が揺れる田んぼが広がるのどかな景色の中に、城跡を伝える石碑と案内板がぽつりと立っています。

水田のすぐ近くには菊池川が流れ、対岸には「赤星舟着場(あかほしふなつきば)」がありました。ここから米や物産は水運で、河口の玉名へ送られました。水運は、その後、加藤清正によりさらに整備され、江戸時代には、玉名の高瀬蔵に集められた米は、数千俵単位で大坂の堂島に送られました。

さて、再び市街地に戻り菊池一族ゆかりの地を巡ります。

菊池神社の参道につながる御所(ごしょ)通りに能舞台「松囃子(まつばやし)能場」を訪ねます。

通りには、県立菊池高校、「将軍木(しょうぐんぼく)」=県天然記念物=が並びます。なまこ壁や白壁の土蔵を見ることができる情緒あふれる界わいです。

「松囃子能場」とは南北朝時代から続く、伝統芸能「菊池の松囃子」=国の重要無形民俗文化財=を演じる舞台です。

松囃子とは、15代・武光が征西(せいせい)将軍として迎えた後醍醐天皇の皇子・懐良(かねなが)親王のために、年頭の祝儀として催したのが始まりと伝えられています。

能場の真正面には、何本もの鉄柱に支えられたムクの巨木(樹齢600年以上)が四方に枝を伸ばしています。懐良親王が植えたと伝えられるこの木は「将軍木」と呼ばれ、親王亡き後は、この将軍木に向けて松囃子が披露されたといいます。

樹齢600年ともいわれる「将軍木」。隣のほこらは菊池神社の頓宮(とんぐう=仮の宮)で、松囃子奉納の時にはここで神事が行われます

今では、菊池神社の秋の大祭(毎年10月)で松囃子が奉納されていますが、将軍木の前には客席が設けられず、見物客は脇から見ることに。厳かで優美な舞は、今でも親王に捧げられています。

ほかにも、稲が台風で倒れないように祈願する「菊池の風鎮祭」、収穫に感謝し五穀豊穣を願う「肥後神楽」「玉祥寺このみや踊り」などが「日本遺産」にふくまれます。

秋の大祭で上演される「菊池の松囃子」。舞台となる能場は寛政8(1796)年に再建されたもので、現在はコンサートにも活用されています(資料写真)

日本遺産(菊池の松囃子・菊之城跡・赤星舟着場)

  • 問/菊池市教育委員会 生涯学習課社会教育係
    TEL.0968-25-7232

菊池渓谷