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(1)あす「的ばかい」の神事 ご利益求め裸同士の激突

「四王子神社」へ奉納

(1)あす「的ばかい」の神事 ご利益求め裸同士の激突

2017年1月14日
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長洲港。長崎の多比良(たいら)港との間にフェリーが就航しています

玉名市方面から長洲町を目指します。海沿いの干拓地を突き抜けるように国道501号が真っ直ぐに伸びます。

造船所のドックやフェリーの発着所、漁から帰ってきた漁船など、海の風景が折り重なるように広がります。

有明海を隔てて間近に見える島原半島。青い海の向こうに優美な曲線を描くのは雲仙普賢岳。車を停めて眺めたい風景です。

冬の澄んだ空の下ではその姿もくっきりと浮き上がり、心なしかいつもより大きく感じます。

造船所の赤いクレーンが立ち並ぶのも造船の町らしい光景です

長洲町の冬の風物詩となるのが、毎年1月第3日曜日に行われる「的ばかい(破魔弓祭/はまゆみさい)」。今年は、あす15日(日)に開催されます。

祭りの舞台となる「四王子神社」は、昔ながらの和菓子屋、乾物店などが並ぶ静かな商店街の一角にありました。

「的ばかい」の歴史は古く、その起こりは平安時代末期にさかのぼります。

1160年、洲崎の浜「浜の岩屋」=現在の「金魚と鯉の郷広場」入り口付近=に神霊が現れ、ここに高御座をもうけて祭ったのが「四王子神社」の始まりです。

日本武尊(ヤマトタケル)を祭る「四王子神社」が「的ばかい」の舞台に

「金魚と鯉の郷広場」入り口付近にある「四王子神社発祥の地」。近くに江戸時代初期に築かれた堤防「新塘」跡が残り、海が間近だったことが分かります

その後、現在の「洲崎神社」に移されますが、当時は葦(あし)に囲まれた海辺で、小船でしか行き来ができなかったそうです。

そこで、安全な場所に神様を祭りたいと、矢を放って選定したのが現在の場所(四王子神社)というわけです。

ご神体を新しい神社へ遷宮(せんぐう)する際、ワラで編んだ円座の上にご神体を載せて運びました。運び終わった後の円座は、「神様が座ったものだから多くのご利益がある」と、氏子たちの奪い合いになりました。

これが「的ばかい」の起源です。ちなみに「的ばかい」の「ばかい」は、「奪い合う、取り合う」という方言に由来します。

以来、850年に渡り、ワラで編んだ円座の“的(まと)”を、締め込み姿の男衆がわれ先にとばかい合い(奪い合い)、無病息災・家内安全などのご利益・幸福を願います。

かつては四王子神社のご神体を祭っていた「洲崎神社」。現在は、海上安全の守護神である住吉の神が祭られています

“的”を「洲崎神社」から長洲町内を練り歩いて、「四王子神社」へと運びます(資料写真)

洲崎神社より献納された“的”は「四王子神社」へ奉納され、除災招福・豊漁・豊作・商売繁盛・家運長久を祈念して神事が行われます(資料写真)

「まーと! まーと!」と威勢のいいかけ声を上げながら、境内でばかい合い、さらには有明海へ向かって出て行きます。

時折、男たちにあびせられる力水が、もうもうと水蒸気となって沸き上がるほど熱気でいっぱい。その光景を沿道から見ているだけでも、男衆たちの血気盛んな姿に寒さを忘れてしまいそうです。

そして、クライマックスには、しびれるほど冷たい海の中へ入っていくのです。

大寒直前の寒さの中、男衆は有明海へ。海中でばかい合い、最後に万歳三唱で祭りを終えます(資料写真)

「まーと!まーと!」と威勢のいい掛け声が境内に響きます(資料写真)

「四王子神社」宮司の松田匡司さん(56)によると、「“冬のはだか祭り”というイメージが強いのですが、伝統的な神事も見物です。午前中は厳かな静の祭り、午後からは荒々しい動の祭りと、180度転換する祭りの様子を見ていただきたいですね」といいます。

神事は、15日午前10時より「洲崎神社」で「的献納祭」が行われ、その後、的を先頭にした奉納行列が長洲の町を練り歩き、11時より「四王子神社」で「破魔弓祭・三射の儀」が行われます。“的”をばかい合う時はもみくちゃになってしまうので、“的”を見るなら奉納行列のタイミングがおすすめです。

「的ばかい」が始まるまで守り番も務める「四王子神社」宮司の松田匡司さん(左)と、男衆が押し寄せる境内に的を投げ入れる「的ばかい保存会」副会長の北野誠司さん

「四王子神社」のもう一つの名物は、まむしやムカデ除けの「御砂守」500円。中身は本殿下の砂で、古くは細川藩邸で、今でもみかん農家の方々に愛用されています

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四王子神社・洲崎神社