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(3)お城へ運ばれた新鮮な魚介 松合はまさに“殿様の台所”

松合郷土資料館

(3)お城へ運ばれた新鮮な魚介 松合はまさに“殿様の台所”

2016年12月17日
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「汐見坂」からの風景は、風情があります

すっかりと日が昇った松合の町並み。なまこ壁の土蔵など昔ながらの風情を感じながら歩きます。

松合は藩政時代から漁業と醸造で栄えた港町(交易港)でした。潮待ちをする船乗りや商人でにぎわい「待ち合い場所」という意味から「松合」という地名がついたという説もあります。

「この地区は、家の中で灯していた火種が原因で、何度も大火にあったんです。そこで火事に強い、なまこ壁の土蔵づくりの家が建てられたんです」と話してくれたのは、「松合郷土資料館」の本松裕生(のぶお)さんです。細い路地沿いに残る井戸跡に、火事の災害から身を守った暮らしの知恵がうかがえます。

路地沿いに残る防火用の井戸の跡

「松合郷土資料館」では、かつての海辺の町の暮らしぶりを感じることができます

現在の資料館は、明治時代に戸長(村長)を務めていた鈴木家の建物。郵便局を委託されていました。写真は明治41(1908)年に撮影されたもの

「故郷の歴史を伝えていかなければ」と資料館管理員の本松裕生さん

平成11(1999)年9月24日に発生した台風18号の高潮被害で、松合地区の12人が犠牲になりました。防災公園には鎮魂の碑が建てられています

かつての廻船(かいせん)問屋「舩津屋」の建物を大切に保存した住居で暮らす渡邉幸夫さん(68)を訪ねました。

「江戸時代、松合は細川の殿様の台所といわれたとですよ。殿様の好物の海産物や捕れた魚を、馬車でお城まで運びよったそうですけんね」。そう言って誇らしげに説明を終えた後で渡邉さんは「どーか、お茶も出さんで」と、話に夢中になってしまった自分に恐縮した様子でした。

かつて廻船問屋だった渡邉幸夫さんの自宅

「どーしてもお茶飲んでって!」と取材班を追いかけ、自販機の前でごちそうしてくれた渡邉幸夫さん

通りを歩いていたら、「お茶代わりに食べて」とミカンを差し入れてくれた人がいます。懐かしいその顔には見覚えがあります。

5年前の松合取材で出会った中野富代さん(66)です。「あんとき小さかった孫たちも、小学生になりました」と教えてもらい、時の流れの早さを感じます。

あれんじ取材班にミカンの差し入れをしてくれた、中野照(てらし)さん(74)と妻の富代さん

高台にある松合小学校の校庭からは、不知火海がよく見えます。校門では、掃除の時間を利用して4年生の子どもたちが、イチョウの落ち葉を集めてハートのオブジェを作っていました。

「先生!できたよ!ほら!」

「おー、よーできたね!」

子どもたちの無邪気な笑顔を見守るように接していたのは担任の山本正裕先生(41)です。そんなほほえましい光景を包み込むように、見上げた大イチョウから黄金の葉がハラハラと舞ったのでした。

子どもたちが作ったイチョウの葉のハートのオブジェ

松合小学校4年生、元気いっぱいの児童たちです

「みんな、いい子ばっかりですよ」と担任の山本正裕先生

松合郷土資料館