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(2)悲願の「世界の宝」が確実に 来月初めの発表待つばかり

祭りの日以外の砥崎河原

(2)悲願の「世界の宝」が確実に 来月初めの発表待つばかり

2016年11月19日
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昭和40年代の祭りの様子。“太眉”のガメは、今も昔も砥崎河原で大暴れ (資料写真=八代市立博物館収蔵)

例年、妙見祭のころになると活気があふれる八代の町ですが、長年、こうして祭りを続けることは、容易なことではなかったと察します。

歴史の中では、延べ50回以上も地震に見舞われ、また戦後、担ぎ手が少なくなった時代には、笠鉾にゼロ戦のタイヤを付けて引いた、などの記録が残っています。

天災や戦、疫病など、今よりずっと「死」というものが身近にあった時代、町衆は無病息災などを“妙見さん”に祈り、感謝の思いを伝えるために、祭りを続けてきたのです。

今は車輪がついている笠鉾ですが、昭和40年代以前は、男衆が担いでいました (資料写真=八代市立博物館収蔵)

そんな妙見祭を愛してやまない人たちに朗報が届けられて、町は大いに沸いています。

「八代妙見祭の神幸行事」は、「京都祇園祭の山鉾行事」など全国32の祭礼行事とともに、「ユネスコ無形文化遺産」への一括登録が確実となり、今年12月初めに予定されている正式な発表を待っています。

町のあちこちに「八代妙見祭 ユネスコ無形文化遺産へ!」の看板が掛かり、住民の期待も高まります。

「2016年ユネスコ無形文化遺産へ!」と書かれた看板が町のあちこちに見られ、盛り上がりがうかがえます

松井家14代当主で、八代市立博物館未来の森ミュージアム館長の松井葵之(みちゆき)さん(70)は、「八代の人たちが長年継承した“神さまへの奉仕”が世界に認められればうれしいですね」とおだやかな笑顔の向こうに、登録を待ち望む高揚を感じます。

お殿様と町衆が心を一つにして受け継いできた「妙見祭」。にぎやかな神幸行列には、楽しさと同時に、じーんと胸に迫るものがあります。それは祭りを受け継いできた幾世代にもわたるあまたの人々の思いに、心打たれるからだと思うのです。

「熊本地震を経験した今年は、祭りが例年通りに開催されることがなおさらうれしくて」と町の人たちは声をそろえます。

気さくでダンディーな“お殿様”、松井家14代当主の松井葵之さん

「八代市立博物館未来の森ミュージアム」のエントランスホールには、江戸時代の妙見祭の様子を精巧に表した行列人形が展示してあります

「松浜軒」は、元禄元(1688)年、八代城主3代松井直之が、母の崇芳院尼のためのお茶屋として建立しました。祭りの際は、今も昔と変わらず、獅子組と奴組が松浜軒で舞を奉納します

祭り当日、出し物の演舞が行われる砥崎河原(とさきのかわら)を訪れました。今、河原は祭りのにぎわいを前に、ウソのように静かなたたずまいを見せています。

いわし雲の下で、秋の日差しを受けて川面はキラキラと光っています。のんきに水浴びをするカルガモの親子がいました。そのあまりにも愛らしい姿に思わず、「カモさんカモさん、お祭りの日は、亀蛇(通称「ガメ」)の大暴れと鉢合わせしないように気を付けてね」と、声をかけずにはいられませんでした。

砥崎河原でのんきに泳ぐカルガモの親子。人なつっこく寄ってきます

祭りの日以外の砥崎河原は、こんなに静かです

写真家・麦島勝の世界

八代市出身の写真家・麦島勝さんが、戦後から現在に至るまで撮り続けた写真164点を、麦島さんの説明文を添えて展示します。
場所/八代市立博物館未来の森ミュージアム
日時/12月4日(日)まで
問/0965-34-5555(八代市立博物館未来の森ミュージアム)

八代市立博物館 未来の森ミュージアム

 

松浜軒