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(4)多くの逸話残す剣豪・丸目蔵人(まるめ くらんど) 15代目は女性剣術家

丸目蔵人の墓

(4)多くの逸話残す剣豪・丸目蔵人(まるめ くらんど) 15代目は女性剣術家

2016年10月15日
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「東の柳生、西の丸目」と称された、剣豪・丸目蔵人の肖像画(錦町教育委員会提供写真)

第15代タイ捨流宗家・上原エリ子さんの太刀姿

錦町の南部、切原野堂山(きりはらのどうやま)。こんもりとした林の中に、一人の剣術家が眠っています。その墓は町指定重要文化財となっています。

墓の主、丸目蔵人(まるめ・くらんど)は、室町、戦国、江戸時代を生きた剣豪で、天文9(1540)年に八代郡に生まれた相良藩の武将です。諸国を渡り歩き、晩年は錦町で90歳の生涯をまっとうしたとされています。

16歳の初陣で武功を挙げた蔵人は、丸目の姓を与えられ上洛。新陰流に師事した後、実践的な兵法「タイ捨流」を創設しました。

若いころの活躍ぶりは諸説ありますが、徳川将軍家兵法指南役の柳生宗矩(むねのり)に一戦を挑んだとか、服部半蔵が蔵人の太刀のすごさに驚いたなど、胸躍るエピソードが伝えられています。

熊本にまつわる剣豪といえば、宮本武蔵がいます。巌流島での佐々木小次郎との戦いで名を挙げたころの武蔵は29歳、対して蔵人は73歳だったというから、孫ほどの年の差があったわけです。その武蔵が手合わせに蔵人の元へやってきたという説もあり、いずれも剣豪・丸目蔵人の豪傑さをうかがい知ることができます。

そんな彼の意志を今に受け継ぐ女性剣術家が、第15代タイ捨流宗家・上原エリ子さん(35)です。

「450年続いてきた剣術を後世に残すため、跡目を継ぎました。国内はもちろん、海外にも広く伝えたいと思っています」と話す上原さんは昨年8月、国宝・青井阿蘇神社で15代目を襲名しました。

普段の上原さんはおっとりとした性格だそうですが、ひとたび太刀を構えると、あたりを圧倒するほどの気迫がみなぎります。

錦町役場近くから南下した切原野堂山という場所にある丸目蔵人の墓。墓前には、蔵人の追善のために村人が建てた石灯籠があります

丸目蔵人の墓の近くで見つけた矢印の形をした杉の木。取材の途中で印象に残ったのでパチリ