
作業に汗を流す若者たち(資料写真=錦町提供)
人吉海軍航空隊基地には、14~21歳まで、延べ6000人の若者たちが集まったそうですが、戦争に青春を捧げたその人生を思うと、胸が締め付けられます。当時の貴重な写真を数枚見ることができました。
丸坊主の若者たちが、細い腕にツルハシを握り振り上げて開墾する様子や、荷車に切り株を積み、大勢で綱を引き歩く顔には、まだあどけなさが残っています。
今で言えば中高生の年頃です。そんなときに親元を離れ、戦争に身を投じた少年たちの決意は、私たちの思いの及ぶところではないでしょう。
地元の人たちとの、ほのぼのとした交流の話も残っています。当時の隊員には月に一度、兵舎下がりが与えられたそうです。彼らは近郊の民家に宿泊し、食事や風呂などをもてなしてもらったようです。きっと故郷に思いをはせながら、家庭の温もりを思い出したことでしょう。

若者たちが大きな切り株を荷車に積んで運んでいます(資料写真=錦町提供)
また、餅つきを楽しむ写真も見つけました。年末のころなのでしょうか、手作りのうすと杵で上官たちが和気あいあいと餅をついています。それを囲むように見守る若い兵士たちにも、笑みがこぼれています。
色あせたモノクロの写真に思うのは、「彼らの苦難、苦労の下に今の時代があること、この平和のありがたさ」でした。そして私たちは、歴史を正しく伝え、平和を守っていかなければならないと改めて思ったのでした。
人吉海軍航空隊基地の遺構についての問い合わせは、錦町企画観光課で受け付けています。

餅つきをする兵士たち。戦争の最中にあっても、こんな笑顔になれるときがあったのだと思いました(資料写真=錦町提供)

当時の海軍ラッパ。日常の起床や見回りなどに使われていたのでしょうか(個人所蔵)