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(2)かつて三角町側は〝本土〟 船と鉄道使い大変な思い

開通直前の1号橋の古写真

(2)かつて三角町側は〝本土〟 船と鉄道使い大変な思い

2016年9月3日
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天草五橋開通前後の天草の様子を教えてくれた「しんじゅ天草」の深水隆康さん(60)、美穂さん(60)夫妻

一号橋のたもとで土産物店「しんじゅ天草」を営む深水隆康さん(60)は、この30年間橋の往来を見守ってきました。昭和レトロの雰囲気ただよう店内で、深水さんにかつての話を聞きました。

「天草五橋が開通する前は、三角から向こうは“本土”。熊本に出かける時は、水杯(みずさかずき)を交わして向かうほどだったんですよ」

昭和の初めごろは熊本市街へは、船と汽車を乗り継ぎ5時間もかかっていたという天草からの交通便。「水杯を交わす」の言葉には「二度と故郷に帰れないかもしれない」という覚悟が込められおり、当時のアクセスの大変さを物語っています。そんな話を知れば、いかに、天草五橋が島民の長年の夢でもあったかがうかがえます。

「年代が分からないんだけど、橋の上に車がないから開通前ですよ。開通してからはひっきりなしに車が通っていましたから」と、「しんじゅ天草」で見せてくれた開通直前の1号橋の古写真

人気のお土産はやっぱり「天草サブレ」(1000円~)。夏限定パッケージ(920円)もおすすめです。ボンタンアメのベンチもレトロです

しんじゅ天草

 

島民の暮らしをよくしたい

上天草市の小中学校の授業では、天草五橋実現の恩人2人のことを教えています。元龍ヶ岳町町長の森國久(くにひさ)と、元大矢野町町長の森慈秀(じしゅう)。2人は「島民の暮らしをよくしたい」と橋の建設を国や県、多くの人に呼びかけました。

天草五橋の架橋に尽力した森慈秀の銅像(二号橋公園)

しかし当初は周囲の反応は冷たく、「夢物語だ!」と一蹴されてしまいます。その後も粘り強く運動を続けますが、実現への転機になったのが、昭和30年から森慈秀が取り組んだ「一円献金運動」です。

島民から一人1円の献金を募り、「天草25万島民の心」として25万枚の1円札を建設省に届けたのです。いかに、人々が架橋を願っていたかが伝わるエピソードです。森慈秀が架橋への夢を公表したのは昭和11年でした。開通が同41年ですから、夢の実現までに、実に30年の年月がかかったわけです。

町の散策に便利な「みしらんガイドブック」(上天草市観光おもてなし課制作)。「上天草には何度も来ているけど知らなかったというディープな情報を満載しています!」と担当した入口紘光さん(39)

みしらんガイドブック

  • 問/上天草市経済振興部観光おもてなし課
  • TEL.0964-26ー5512