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(2)輿入れの篤姫も渡った眼鏡橋 命拾いの石工がお礼にと築造

「幸せの鐘」などが配置された展望所

(2)輿入れの篤姫も渡った眼鏡橋 命拾いの石工がお礼にと築造

2016年7月2日
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岩永三五郎の一番弟子・三平と地域の人達で架けられたと伝わる「重盤岩眼鏡橋」(長さ18m、幅4.5m)

「重盤岩眼鏡橋」が架かる津奈木川に沿ってあじさいの花が揺れていました

津奈木町の中心部まで戻ってきました。訪れたのは、津奈木川にかかる「重盤岩(ちょうはんがん)眼鏡橋」です。

重厚な石組みながらも優雅な曲線が見事です。嘉永3(1850)年の築造。手掛けたのは、肥後・野津石工の中心人物の岩永三五郎の一番弟子・三平だと言われています。そこには、秘められた物語が伝えられています。

三五郎は、三平と共に薩摩藩に招かれて数多くの橋を手がけました。しかし、橋が完成すると秘密保持のため関わった者たちが暗殺されるという噂が流れ、石工たちは逃亡。三平も途中で襲われ、技術者の生命となる片腕を失いながらも、何とか津奈木まで逃げ延び、命拾いしました。その恩返しとして、この眼鏡橋を架けたといわれています。

架橋以降は、島津藩の参勤交代でも使われ、13代将軍・徳川家定に輿入れする篤姫も渡ったといいます。

「残念ながらこの橋についての記録がありません。でも、いろいろ想像しながら推理するのが楽しいんですよ」とは、町誌作りにも関わってきたという岡松荘一郎さん(90)です。

「重盤岩眼鏡橋」から目線を上げると、橋の名前の由来となった、奇岩「重盤岩(ちょうはんがん)」がそびえ立っています。溶岩が固まったものといわれ、高さは80m。町の中心部に鎮座する、シンボル的存在で、周囲は公園化され、「つなぎ美術館」、「つなぎ温泉四季彩」、物産館「グリーンゲイト」などの施設も集まっています。

「重盤岩眼鏡橋」を渡った場所にある「つなぎ温泉四季彩」。入館料400円、小学生300円

左から、町の歴史に詳しい元役場職員の堀和弘さん(69)、津奈木町教育委員会の濱田稔浩さん(50)、岡松荘一郎さん(90)

重盤岩を眺める「舞鶴城公園」へはモノレールが利用できるので、お年寄りや子どもでも気軽に頂上までいくことができます。

「重盤岩」の頂上へは「つなぎ美術館」から出発するモノレールで(乗車料/往復300円)。車窓からの眺めも爽快です

彫刻やベンチ、「幸せの鐘」などが配置された展望所。「重盤岩」の付近一帯は、かつて舞鶴城と呼ばれた津奈木城跡です

「グリーンゲイト」前の広場では、5月4日の「温泉まつり&フラワーフェスタ」で熊本地震の被災地支援の特産品販売会が開かれました。この時、勇壮に太鼓を打ち鳴らし、エールを送ったのが、町職員らからなる「つなぎ舞鶴太鼓」のメンバー。代表を務めるのは町振興課長の倉本健一さん(58)です。

「熊本城をバックに演奏したこともあり、石垣が崩壊した姿にショックを受けました。もう一度、お城の前でバチさばきを披露したいですね」

8月6日(土)、「つなぎ夏祭り」にも出演が予定、練習にも熱が入っています。

地元の津奈木町だけでなく、水俣市や芦北町から集まった28人で活動する「つなぎ舞鶴太鼓」。「メンバーは全員、和太鼓初心者ですが、去年はTAOと共演するほどに成長しました」と、代表の倉本健一さん(58)とメンバーの西平嵩さん(28)

「亀萬酒造」近くの脇道に入ると、「中尾眼鏡橋」がひっそりと現存。岩永三平が嘉永6(1853)年にかけたと推定されています

「中尾眼鏡橋」近くに立つ「諏訪神社」。静かな境内には、クスノキの巨木(津奈木町指定文化財)がありました

津奈木隧道(つなぎずいどう)・重盤岩眼鏡橋・重盤岩