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(4)歴史息づく門出地区の界わい 地元で愛され続ける“百貨店“

河原地区で長年商売を営む「山下百貨店」

(4)歴史息づく門出地区の界わい 地元で愛され続ける“百貨店“

2016年4月16日
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門出橋のたもとにあるムクノキ。台風で一部倒壊するも、樹幹からは新しい芽が出ています

河原地区に流れる木山川には、クレソンが生えています

西原村は1960(昭和35)年に、阿蘇郡山西村と上益城郡河原村が合併。それぞれの自治体の1文字をとって西原村の名前になりました。

旧河原村の門出地区は、伝統的建造物や町並みを後世に残す県の取り組み「くまもと歴町50選」に選ばれました。

木山川(緑川水系)の堤防沿い、門出公民館近くに立つ供養塔「六地蔵板碑」は、1544(天文3)年の建立。加藤清正が肥後の領主になったのが1588(天正16)年ですから、それより前のことです。石碑には「関西肥後州益城郡」と当時の住所が記されていますが、500年ほど前のものなのに、損傷が少ないことに驚きます。

木山川の堤防沿いにたたずむ「六地蔵板碑」は戦国時代のもの

門出地区の新川邸の中にある「梵字(ぼんじ)六地蔵」の石碑は、室町時代の1509(永正6)年の建立。見学したい場合は新川家に一声かけてください

「かつてこの供養塔は、門出橋のたもとにある樹齢約500年のムクノキ(写真)のかたわらに置かれていたそうで、木が成長し幹が石碑を包み守ってきたのです。地区の人たちは『抱き込み地蔵』と呼び崇めてきましたが、平成3年の台風で一部が倒木したムクノキの中に発見され、現在の位置に建て替えられました」と西原村役場の小谷桂太郎さん(43)。

長塀が続く大きな屋敷・矢野家住宅は、明治6年に建てられた国の登録有形文化財です。矢野家は明治期には近隣の地主として、昭和期には村長を務めた家柄です。一般公開はされていませんが、路地から見える由緒ある建物に、明治・大正・昭和初期の住宅の変還をうかがい知ることができます。

国の登録有形文化財になっている「矢野家」

昭和初期に作られたという矢野家の母屋も、貴重な建造物です

「慈雲寺」の見事な天井絵も見応えがあります。「天井絵は1887(明治20)年頃に描かれたものです。また私どもの寺は江戸中期の1744(延享元)年に開基されたと伝わっています」と13代目住職の工藤誠修(しげのぶ)さん(36)。突然の訪問にもかかわらず快く迎えてくれました。

「慈雲寺」の天井絵。多彩な絵柄に見飽きません

身長もがたいもビッグサイズな「慈雲寺」の住職・工藤誠修さん。とても優しい方です

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慈雲寺

 

地区の子どもことなら何でも知っているという「山下のおばちゃん」

門出地区は、昭和30年代まで旅館や商店街が建ち並んでいたそうです。ここで長年看板を上げているのが「山下百貨店」。何よりその店名が衝撃的です。

「私が嫁にきて53年でしょ、その前からじーちゃんたちが店ばしよったけん、街中の百貨店よか古かかもしれまっせんね(笑)。うちの店と比べるとも申し訳なかばってん」と山下芙蓉子さん(74)が笑顔を浮かべながら答えてくれました。

かつては衣料・食料品を販売していましたが、現在は、西原中学校の鞄や体操服などを扱っています。地区の子どもことなら何でも知っているという「山下のおばちゃん」に、今でも頭が上がらない大人も多くいるようです。

河原地区で長年商売を営む「山下百貨店」

左から、河原地区を案内してくれた西原村役場の小谷桂太郎さん、「山下百貨店」の山下芙蓉子さん、同役場の村上康成さん(29)

河原地区にある「白山姫神社」。室町時代に白山(はくさん)信仰の総本宮・石川県の白山比咩(ひめ)神社から分霊された「菊理姫命(ククリヒメノミコト)」が祭ってあります

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山下百貨店