
格子窓と間口の広い玄関が主屋の目印に
菊池の中心部・隈府には、菊池氏の栄華を伝える史跡や名所が点在しています。
東西に走るメーンストリート・御所通りを歩いてみると、県立菊池高校の正門脇に、道にまで枝葉を延ばすムクの巨木が見えてきます。これは、後醍醐天皇の皇子・懐良親王が手植えしたといわれ、「将軍木」と呼ばれています。通りをはさんだ向かい側には、江戸時代に建てられた「菊池松囃子能場」があり、毎年10月13日に松囃子能が奉納されています。
この松囃子能は懐良親王を迎えた時に年頭祝儀として舞われ、親王が亡くなった後でも将軍木を親王に見立て舞い続けられ、現在も受け継がれている菊池の伝統芸能です。
さらに歩みを進めると、レンガ積みの煙突が目に飛び込んできました。漆喰の白壁が続く先に「菊の城」の、のれんが風に揺らいでいました。

温かく迎えてくれた有田幸令さん・公子さん夫妻。現在も住まいとして利用されているので、訪問の際には事前に菊池市教育委員会生涯学習課へ問い合わせを

シンボリックなレンガの煙突。高さ13メートルのイギリス積(づ)みという構法なのだとか
「菊の城本舗」は、明治28年に創業した造り酒屋。菊池の水と米で作る大吟醸の味は全国に知られていましたが、平成16年にファンに惜しまれつつ操業を終了しました。
しかし、昭和10年建造の主屋、明治後期の煙突、ほかにも麹蔵や貯蔵蔵の4件が平成27年11月に国の登録有形文化財に登録されました。
「酒造りはやめてしまいましたが、酒造りの歴史は伝えたいと思っていました。地元の方々に愛された酒ですから、この建物も地元のお役に立てれば」と、所有者の有田幸令(ゆきのり)さん(71)。
昨年の台風で被害を受けたため、普段は貯蔵蔵や麹(こうじ)蔵は見学できませんが、特別に案内していただきました。機械類は撤去され、大きな木製の貯蔵樽などが役目を終えて静かにたたずんでいます。

ホウロウ製の看板やポスターなど、酒蔵としての長い歴史を著すグッズも

蔵から見つかった棟札(むなふだ)=写真右。天保6(1835)年と書かれ、杜氏の名前も見えることから、この頃から酒造りが行われていたことが分かります

「今では木樽を作る人も少なくなって。操業終了後に温泉施設から湯船に使うから譲って欲しという依頼もありました」と有田公子さん
「かつては杜氏たちの声や機械の音で活気がありました。今後どのように活用されるかまだ未定ですが、人が集うことで建物にも気が吹き込まれるといいですね」と妻の公子さん(58)。御所通りで町を見守ってきた蔵に、新たな生命が吹き込まれる日が早く訪れることを願って蔵を後にしました。
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