生活情報紙「あれんじ」公式サイト

(1)西南戦争資料館がリニューアル 戦闘シーンを再現ビデオで紹介

再現映像には、地元の若者たち約30人が出演

(1)西南戦争資料館がリニューアル 戦闘シーンを再現ビデオで紹介

2016年2月20日
|

西南戦争があった当時の田原坂。中央の茂みが田原熊野座神社や資料館がある場所で、左側に添うように上る道は一の坂、二の坂、三の坂。手前は当時使われた四斤山砲(しきんさんぽう)のレプリカ

固くつぐんでいた木々の芽もふくらみ始め、あちこちで春が動き出す気配を感じます。天に向かってまっすぐに伸びる竹林の間をゆっくり歩いてみました。ふと見上げると、葉をすかして降りてくる光がすがすがしい朝を告げています。

植木町の西部に位置する田原坂。かつては台地でしたが、加藤清正が熊本から植木をつなぐこの場所に凹形の道を掘り込み、城の北側の防衛拠点としました。人馬が主な移動手段だった時代において、界わいでは荷馬車や砲台を通せる唯一の道。曲がりくねった坂道は攻めにくく、守りやすい工夫でもあったのでしょう。

ー雨は降る降る
人馬は濡れる
越すに越されぬ
  田原坂

1877(明治10)年に起こった日本最後の内戦「西南戦争」で、最大の激戦ともいわれる「田原坂の戦い」を詠んだ歌です。田原坂に布陣した薩軍(薩摩軍)は、玉名方面から攻め込んできた官軍(明治政府軍)を、この地で迎え撃ちました。同年3月4日から20日まで17日間におよぶ攻防で、多くの若者が命を落としました。今では時折、列車の音が響くばかり。果樹や雑木が生い茂り、野鳥の声がこだまするのどかな風景の中にいると、激しい戦いが起こった場所とは思いも及びません。

両軍の装備の違いを示す展示(右は薩軍、左が官軍)。食料の差にも驚きます

坂を上りきったところにある田原坂公園内の「田原坂西南戦争資料館」は、戦いの歴史を今に伝えるスポットで、昨秋リニューアルしたばかり。周辺から発掘された多くの薬莢(やっきょう)や時代背景、両軍の装備・食料の差を示す展示がされています。

両軍のせめぎ合いを動画で示す俯瞰地図や、ジオラマと音と映像をミックスしたダイナミックな再現映像は分かりやすく、つい見入ってしまうほどです。

「資料館の前には、無料展望所もあります。とても見晴らしのいい場所なので、お弁当を食べるのにもぴったりですよ」と話す、館長の藤本典子さん(左)とスタッフの作田徹さん

急勾配の坂をイメージした外観の「田原坂西南戦争資料館」。周辺には、桜並木やツツジの咲く丘が広がり、季候のいい日は花見や、親子連れの憩いスポットとしてもにぎわいます

「官軍は20歳で徴兵されるのに比べて、薩軍は10代半ばの兵士も多く、体格も経験も違う。場合によっては、親兄弟が敵味方に分かれて戦ったケースもあったようです」とは、観光ボランティアガイドの中尾末義さん(78)です。中尾さんは仕事の転勤で全国を飛び回り、定年を機にUターンし、郷土史研究とボランティアガイドをライフワークにしています。

「子どもの頃から近所に点在する塚(古墳や戦争遺跡)を冒険するのが大好きでしたね。宝探しのような感覚でいろいろ見つけてくるもんですから、よく母から叱られました」と笑います。

好きが高じて今がある、という中尾さんのお話はテンポも良く、ユーモアたっぷりで、ともすると重くなりがちな歴史の話もすんなりと入ってくるから不思議です。

それにしても、西南戦争に挑んだ若者たちはどんな未来を思い描いたのでしょうか。日本の近代化の陰に、命をかけた若者たちがいたことを忘れてはいけません。

ボランティアガイドの中尾末義さん。「小野小町や種田山頭火などを紹介する『歴史探訪の会』としての活動もしています。ガイドは10人いますので、気軽にお問い合わせください」

再現映像には、地元の若者たち約30人が出演。役者顔負けの殺陣も見どころです

スギの幹の中に銃弾や四斤山砲弾の破片が残っているのが新たに見つかった「田原熊野座神社」。戦闘で消失した社殿は戦後に、境内の立ち木を使って再建されているため、社殿や拝殿の柱のところどころに銃弾や弾痕が残っています

問い合わせ

熊本市田原坂西南戦争資料館

 

問い合わせ

植木町歴史探訪の会

  • 問/090-1349-1252(中尾さん)
  • FAX/096-273-0192
  • 対応時間/9時~16時
  • 料/1組1000円(約1時間、2時間以降は応相談)
  • ※1週間前までの要予約