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(2)庶民の暮らしを描いた天井絵 熊本の猛婦たちのふるさと

四賢婦人記念館

(2)庶民の暮らしを描いた天井絵 熊本の猛婦たちのふるさと

2016年2月6日
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戦国時代、津森城守の館の砦(とりで)として建立された「浄信寺」

見事な天井絵を見ることができるのが、489年の歴史を持つ「浄信寺(じょうしんじ)」です。すっきりとせん定された庭木、美しく清められた本堂。見上げると183枚にもおよぶ天井絵が目に飛び込んできました。

中央に方位を描いた絵があり、針の方向をスマホに内蔵されたコンパス機能で計ってみると、寸分の狂いもないことに驚きます。天井絵は野菜や動植物といった、昔の庶民の暮らしの中にあったものが書き写されています。寺院絵師の稲垣石斎(いながき・せきさい)によって、1875(明治8)年から10年間に渡り制作されました。

本堂奥のご本尊が鎮座する天井には、京都の絵師が描いたきらびやかな天井絵があります

明治のころ寺院絵師の稲垣石斎によって描かれた天井絵。どれも愛らしい絵図ばかり

「右天井には十二支が描かれており、天井絵としては珍しいものだそうです。顔料には植物や岩、土などが用いられていて、当時は絵師が自ら作っていたようです」と住職の小田孝行(こうぎょう)さん(66)。同寺の天井絵は一般公開されています。

「浄信寺」の参道には数々の灯籠がつらなっています

すっきりとせん定された寺の庭


「浄信寺」のご住職、小田孝行さん

廊下もピカピカに磨き上げられています

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“熊本の猛婦”と呼ばれた益城町の惣庄屋・矢嶋家の四姉妹

浄信寺の近くに「四賢婦人記念館」があります。四賢婦人とは、“熊本の猛婦”と呼ばれた益城町の惣庄屋・矢嶋家の四姉妹のことで、いずれも江戸末期に生まれ明治時代に活躍した女性たちです。

矢嶋家の四姉妹。左から竹崎順子、徳富久子、横井つせ子、矢嶋楫子

三女の竹崎順子は1889(明治22)年に「熊本女学校=後の熊本フェイス学院高校(現在は開新高校に合併)」を創設、四女の徳富久子は徳富蘇峰・蘆花の生母、五女の横井つせ子は横井小楠の妻、六女の矢嶋楫子(かじこ)は1889(明治22)年に「キリスト教系女学校=現・女子学院(東京)」を創立するなど、近代日本における女子教育や婦人解放運動に尽力しました。

展示資料の中に、面白いものを見つけました。「大正評判女番付」という番付表で、大正時代に名を上げた女性の評判ぶりを格付けにした印刷物です。西の横綱に「銀行家・廣岡淺子」という名前がありました。現在NHKで放送中の朝ドラ「あさが来た」の主人公のモデルです。

記念館に展示してある「大正評判女番付」。右の白枠が西の張出横綱・矢嶋楫子。すぐ隣の横綱・廣岡淺子は、NHKの朝ドラ「あさが来た」の主人公のモデル

名だたる女性陣が連なる中、西の張出横綱の座にいたのが四賢婦人の一人、矢嶋楫子でした。それがどれほどの評判の高さだったのかは、婦人解放運動で名を上げた文学者・平塚雷鳥(ひらつか・らいちょう)が、まだ前頭の格付けであることに比べ知ることができます。

また肩書きの付け方もユニーク。音楽家や文学者の中に「美人」がありました。「噂の女」というのもあり、どんなスキャンダルの中心人物だったのか調べてみたくなります。

津森小学校の横にある「四賢婦人記念館」

昭和5年のころの惣庄屋・矢嶋家の写真(記念館に展示)

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