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(3)昭和のころの 三角西港の様子

有働弘子さん

(3)昭和のころの 三角西港の様子

2015年12月19日
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昭和のころの三角町の様子を教えてくれた有働弘子さん

「法の館」に続く坂道の脇にある水路

明治三大築港の一つとして華々しいデビューを果たした三角西港でしたが、わずか12年でその存在にかかわる転機が訪れました。理由は、1899(明治32)年に開通した九州鉄道(現JR)三角線の終点・三角駅が、三角西港ではなく東港とされたことにあります。

とはいえ、すぐに衰退の道をたどったわけではなく、昭和の中頃まで町はにぎわっていたようです。

「港から一本道を隔てた民家が集まるこの辺りには、商店が建ち並んでいましたよ。まだ遊郭もあって、1階のフロアはダンスホールだったと記憶しています」と、この町で生まれ育った有働弘子さん(80)が子どものころを振り返ります。

法の館へと続く坂道の脇の水路では、山から流れる水を利用して洗濯をしていたそうです。通りのところどころに残っている井戸は、当時の生活を支えた水場だったようです。

道ばたの枯葉を丁寧に掃く有働さん。「世界遺産に登録されてからたくさんの方が来なはるでしょ、だけん、少しでも気持ちよく散策してもらおうと思って」

近頃ケガを負ったという右手をかばうようにして、有働さんはモクモクとほうきに向かっていました。