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(1)この国の近代化を支えた 三角西港に秘められた物語

アコウの木

(1)この国の近代化を支えた 三角西港に秘められた物語

2015年12月19日
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石積みの埠頭からの対岸の眺め。三角ノ瀬戸は水深が深く、蒸気船が入港できるとされ、港に適しているとされたのです

ひと雨ごとに寒さが深まる冬の朝。三角西港に日和風が渡ると、曇天の雲の合間からの日差しが海面にキラキラと揺れて、海沿いの町の穏やかな一日が始まります。

埠頭(ふとう)で太公望たちがのんびりと釣り糸を垂らす一方で、今夏、世界文化遺産に登録された三角西港の姿を見ようと、多くの観光客が押し寄せています。

1887(明治20)年築造の、三角西港は明治期の三大築港の一つです。三井・三池炭鉱(荒尾市・大牟田市)で採掘された石炭を国内、海外へと搬出するための港として利用され、日本の近代化を支えました。

それまで人が住んでいなかった三角浦が明治に入り、数年の間でみるみるうちに近代港湾に変貌を遂げたわけです。その目まぐるしい移り変わりには誰もが驚いたことでしょう。現代のように機械化が進んでいない時代ゆえ、ただならぬ尽力と多くの労力が注ぎ込まれたことは言うまでもありません。

熊本県令(現在の知事)の冨岡敬明をはじめオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドル、延べ13万人の石工が建設に携わりました。その石工集団の棟梁に、長崎のグラバー邸や大浦天主堂の建設に携わった小山秀(こやま・ひいで)という天草出身の人もいました。

三角西港の築港に尽力した県令の冨岡敬明の像

石積みの水路は現在も現役で活躍しています

すっかりと晴れた空を映して、三角ノ瀬戸は美しい藍色をたたえています。岸に打ち寄せる波の音を聞きながら、目を閉じて当時の建設現場の光景を想像してみました。

汗にまみれた労働者たちの勇ましい姿、指揮を執る小山の鋭気みなぎる声、それらを見守る冨岡やムルドルたちの熱い視線…。

波に洗われる石積みの埠頭に立ちながら、彼たちが未来へと託した思いを感じ取りたいと思うのでした。

開港当時からこの場所に立っているアコウの木。その向こうにはおだやかな三角ノ瀬戸の海が見えます

海岸近くには、県令の冨岡敬明や水理工師ローエンホルスト・ムルドルたちの写真が納められた石碑があります