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(3)“お殿様”に愛された名勝の地 宵闇の海上を飛ぶ勇壮な火矢

導燈(どうちん)の儀

(3)“お殿様”に愛された名勝の地 宵闇の海上を飛ぶ勇壮な火矢

2015年8月15日
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「蕉夢庵」跡地への入り口にかかる風情ある石橋は、月翁自らの設計と伝わります

「蕉夢庵」の建物が現存した昭和の末期ごろの撮影と思われます (資料写真=宇城市教委)。残念ながら、現在は建物基礎のみが残る跡地となっています

不知火海を見下ろす桂原地区(宇城市不知火町)。江戸時代は宇土藩領だったその山あいに、宇土藩第五代藩主・細川興文(おきのり)が隠居後の別邸とした「蕉夢(しょうむ)庵」跡地がありました。

改革に努めた名君であり、書画や詩歌にも秀でたマルチな才人だった興文は、1773(安永2)年に隠居後、月翁(げつおう)と号してこの地で余生を楽しみました。

「(月翁が)宇土から庵に来られる時には、街道で下々の民が地に伏して迎えずに済むようにと、街道は通らずに山越えの道を選ばれたと伝わっています」と話すのは、庵の近くで生まれ育った石原敬子さん(83)。

「昔、このすぐ近くのお大師さんで年一回お祭りが開かれていたころは、その日、特別に蕉夢庵に入ることができ、中で近所の人とお弁当を食べたりして、それは楽しかったとですよ」。祭りの日は、道の両側に幟(のぼり)旗がずらりと並んで参拝客でにぎわったといいます。

月翁が愛でた庵の周辺9カ所の景勝の地に、月翁の筆跡を刻んだ「九勝(きゅうしょう)之石」が残ります。庵の北約200mの巨岩には、〝鹿に遭遇する小道”の意の「遇鹿逕(ぐうろくのけい)」の文字が刻まれてあります

「蕉夢庵」の定期的な清掃活動などに携わる、「蕉夢庵保存会」代表の對田(ついだ)正一さん(64)

桂原に伝わる月翁の伝承を語ってくれた敬子さん。隣は嫁のとも子さん(55)

問い合わせ

蕉夢庵

 

永尾剱神社は観望のベストスポット

さて、古代、九州巡幸中に海上で迷った景行天皇一行を、洋上の光が無事岸辺に導いたという有名な不知火伝説。それにちなむ「不知火・海の火まつり」が、毎年(旧暦8月1日頃)松合地区で行われています。今年の開催は9月12日(土)です。

祭りの開幕を華々しく飾るのは、「永尾剱(えいのおつるぎ)神社」下の海中に立つかがり火の台に岸から火矢で点火する「導燈(どうちん)の儀」。景行天皇一行を導く明かりをともすという意味合いが込められています。

不知火海を望む松合地区に隣接する地区にある「永尾剱神社」。創建は、713(和銅6)年と伝わります

「永尾剱神社」から見下ろす海の中に立つ鳥居。水に浮かぶような姿が印象的です

「導燈の儀」で灯したあかりを頼りに、天皇一行に見立てた船が「永尾剱神社」下の浜へ向かう祭の一場面(資料写真=同祭実行委)

宵闇迫る海上に向けて火矢を放つ「導燈(どうちん)の儀」。射手は渡辺裕生さん=資料写真、宇城市 松井寛(ゆたか)さん撮影

3人いる射手の一人が、渡辺裕生さん(59)。「この儀を祭りで初めて行うにあたり試し打ちしたところ、飛行中に受ける風で矢の火が消えてしまうことが分かりました。祭りが目前に迫るなかその対策を尋ね回り、矢の先端に風よけが必要と判明したのが開催の数日前。あぶないところでしたね(笑)」

同祭では、角髪(みずら)の髪型で古代装束に身を包んだ参加者が繰り出す松明行列も見もの。「旧暦8月1日は条件的に不知火が現れやすいと言われています」と同祭実行委員長の磯本秀利さん(67)。中でも永尾剱神社は観望のベストスポットと教えてくれました。

「永尾剱神社」を出発する松明行列(資料写真=同祭実行委)

「不知火・海の火まつり」では夜空を彩る海上花火も打ち上げられます(資料写真=同祭実行委)

不知火の目撃を申告した人には、「不知火・海の火まつり」実行委員会から写真の「証書」が贈られます

「不知火・海の火まつり」と並び夏の不知火町を盛り上げるのが、「不知火海伝馬舟競漕大会」。写真は過去の大会の様子(資料写真=同大会実行委員会)

左から、「不知火・海の火まつり」実行委員長・磯本秀利さん。平成7年から毎年欠かさず「導燈(どうちん)の儀」の射手を務める渡辺裕生さん

不知火・海の火まつり

9月12日(土) 永尾・松合地区
●18時ごろ~「導燈の儀」
●19時ごろ「松明行列」出発(永尾剱神社→松合新港)
●21時ごろ~海上花火
※ほか、各種ステージイベント、露店出店など
問/TEL.0964-32-1111(宇城市経済部商工観光課内・同祭実行委員会)