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(1)世界遺産めざす「万田坑」 炭鉱で支えた日本の近代化

生活通路「桜町トンネル」跡

(1)世界遺産めざす「万田坑」 炭鉱で支えた日本の近代化

2015年4月4日
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沈殿池の湖面に映る万田坑。沈殿池は坑内からくみ上げられた水を一時的に貯め、不純物を沈殿させるために作られました

うららかな晴天のもと、干潟の海が陽光に輝いています。ノリひびが立ち並び、その先には雲仙岳(島原半島)の山々が春がすみにシルエットを浮かび上がらせています。国指定史跡、国指定重要文化財の炭鉱跡「万田坑」。世界遺産への期待が高まる史跡を訪ねることにしました。

荒尾市と県境を接する福岡県大牟田市の一帯には、日本最大の三池炭鉱があり、多数の坑口が点在。万田坑はその主力坑。明治から昭和にかけ、その石炭で日本の産業発展を支えました。明治35(1902)年から出炭が開始され、平成9(1997)年に閉山。いまは史跡として操業当時の施設が保存されています。

青空にそびえる巨大な立て坑やぐら、古びた赤レンガ造りの建物群は、当時の面影を色濃く残しています。多くの炭鉱マンたちを地底へと運んだケージや石炭を運んでいた炭函(たんがん)と呼ばれるトロッコが残る風景を前にして、そっと目を閉じれば、活気にあふれたころの万田坑の情景が浮かび上がってきます。

「明治時代の立て坑やぐらが残されているのは万田坑を含めて3カ所だけ。なかでも、巻揚機(まきあげき)やポンプ室など炭鉱施設一式が残るのは万田坑だけなんです。坑底にいると、昼も夜も分からんかったですね」と、元炭鉱マンで組織する「万田坑ファン倶楽部」のメンバーで、元炭鉱マンの中島智さん(70)が話します。

23年間、坑底で石炭を掘っていたという実体験を交えながらの中島さんの話からは、当時の採掘の様子が生々しく伝わってきます。

炭鉱景気を支えた第2立て坑やぐらとレンガの建物。明治期の炭鉱施設が残るのは珍しく、多くの映画のロケ地にもなっています

今にも動きそうな巨大な巻揚機

出勤や買い物で人々が使用していた生活通路「桜町トンネル」跡。構内地下を通って大牟田市とつながっていました

万田坑の見所の一つが、炭鉱マンを乗せたケージを上げ下げする「巻揚機」。第2立て坑やぐらの脇に立つレンガ造りの建物が「巻揚機室」になり、ヘルメットをかぶって2階に上がると、巨大な歯車にワイヤーロープが巻き付けてありました。稼働していた当時は、そのロープの両端にケージが2つ吊り下げられ、一方が上がると他方が下がるつるべ式となっていたそうです。ロープの太さは直径36mm。たった1本のロープで地下264m降ります。さらに有明海の海底下に網の目のように張り巡らされた採炭場に向かったのでした。

第2立て坑の裏手には、石炭を選別、運搬する「選炭(せんたん)場跡」がありました。高台のこの場所からは、三池港(大牟田市)へ石炭を運んでいた炭鉱専用鉄道の跡や荒尾、大牟田の両市にまたがる町並みを見渡せます。その一帯にかつて日本最大の三池炭鉱があったかと思うと夢、幻のような気がしてきます。

中島さんが製作した第2立て坑のやぐらの模型。「材料はほとんど廃材」と中島さんは言いますが、かなり精密な作りです。こだわりは、右から左へと規則正しくワイヤーを巻き上げていく巻揚機の動き

元炭鉱マンで現在は市民ガイドの中島智さん。「坑内経験者は4人。私たちの体験を織り交ぜて万田坑の説明をしています」