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(2)懐かしさとの出会いが楽しい 郷愁誘う馬見原商店街

岩城屋の一角に設けられたレトロコーナー

(2)懐かしさとの出会いが楽しい 郷愁誘う馬見原商店街

2015年1月10日
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蘇陽地区の中心部の「馬見原商店街」は、石畳や土蔵が並び、風情のある町並みが続きます。

日向往還の宿場町として、最盛期には17もの造り酒屋のほか、芸妓置屋や茶屋などが軒を連ねていたそうです。

各地から多くの人や物が行き交い、商業が栄えていました。江戸末期から昭和初期にかけては“商売を学ぶなら、馬見原に行け”と言われたほどで、今日もその名残を見ることができます。

しょうゆの醸造元として明治17(1884)年に建築された「新八代屋」は、三階建ての木造建築。往時は屋上に望楼(ぼうろう)があり、旦那集が花見や月見の宴に集い、街のにぎわいを眺めては、酒を酌み交わしたのだといいます。

明治35(1902)年、修学旅行でこの地を訪れた歌人・若山牧水(宮崎出身)は、「馬見原ハシャレタ町ナリ」と日記につづったほど。当時17歳の牧水にとって、この街のにぎわいはよほどセンセーショナルだったのでしょう。

昭和の雰囲気がただよう馬見原商店街。ゆっくりと歩いてみると意外な発見や懐かしいものとの出会いがあります

馬見原商店街は、椎葉往還と日向往還の交わる場所でもありました

若山牧水の歌碑=馬見原商店街

明治17年、しょうゆの醸造元として建てられた「新八代屋」。馬見原の華やかなりし時代をしのばせてくれる建物です


時間が経つのを忘れてしまいます

大正2(1913)年創業の金物店「岩城屋」には、昔懐かしい日用品や、昭和のアイドルのレコードなどが並ぶ一角があります。

「町おこしの一助となればという思いで“レトロコーナー”を作りました」と、代表の森川弘士さん(57)。

交換手が取り次いでいたころの、ダイヤルのない黒電話などもあり、懐かしさと物珍しさでつい、時間が経つのを忘れてしまいます。

岩城屋の一角に設けられたレトロコーナー。タイムスリップしたような空間に思わず長居してしまいます

「岩城屋」の森川弘士(57)さんと妻の森川多恵さん(52)

レトロコーナーには、馬見原商店街の昔の写真も並んでいます。ブラジル式西洋料理店という看板を掲げたお店の写真も

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後世へ伝え継ぎたいという思い

道向かいに見つけたのが、「佐藤活版所」の看板。大正6(1917)年から一昨年まで操業を続けた印刷所です。鉛活字や印刷機など今では珍しくなった道具や機械がそのまま残されており、お願いすれば中を見学することができます。

「ここで活字を、一つ一つ手で拾って組み版したんです。手はかかったばってん、活版印刷には何とも言えん味わいがありました」と、音のない工場を愛おしそうに見渡す、3代目の佐藤利吉さん(80)。

大小の活字が整然と並ぶ棚や、語る言葉の端々に、佐藤さんの職人としての誇りと、活版印刷文化を後世へ伝え継ぎたいという思いを感じました。

びっしりと並べられた鉛活字。稼働していた当時のままに保存されています

「佐藤活版印刷所」の佐藤利吉さん


素朴で優しい味わい

馬見原橋のたもとで、「三河羊羹(ようかん)」という看板を見つけ、「甲斐商店」へ。先代から受け継ぐ手練りの製法を守り、ご主人とふたりで、羊羹作りを続けるのが甲斐テルミさん(72)です。

「小豆を煮るときも餡(あん)を練るときも、薪を使います。ガスだとかえって火加減が難しい。保存料も防腐剤も入っとらんけん、冷蔵庫に入れとってください」。

テルミさんが手際よく包んでくれた羊羹は、粒がなくなるまで丁寧に練り上げられたものでした。その素朴で優しい味わいに、夫婦の深いこだわりを感じます。

笑顔がチャーミングな「甲斐商店」の甲斐テルミさん

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甲斐商店

 

馬見原はまさに物流拠点

他力(たりき)不二雄さん(73)と雄二さん(41)親子が営む「他力鮮魚店」。ギョロッケやあじフライ、サンマの塩焼きなど日替わりのお総菜が並んでいます。

店先の大きないけすには、タイやカンパチが泳いでいました。仕入れのある日は朝3時から、田崎市場(熊本市)へ出かけるという雄二さん。仕入れた魚を、高千穂や延岡へ届けることも多いそうです。

熊本の市場にあがった魚が、馬見原の鮮魚店を経由して、県外へ届けられるとは驚きです。馬見原はまさに物流拠点なのだと実感した瞬間でした。

魚のすり身でつくったギョロッケや日替わりのお総菜が並びます

「いけすを設置してから、いつでも新鮮な魚を提供できるようになりました。100人分はいつでも用意できますよ」と雄二さん。右は父・不二雄さん

いけすにはこの日、いきのいい真鯛とカンパチが泳いでいました

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他力鮮魚店