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(1)昭和の名優の生誕の地 役柄通りの素朴な人柄

天子宮

(1)昭和の名優の生誕の地 役柄通りの素朴な人柄

2014年12月20日
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風格漂う「来照寺」の本堂

初冬の陽光が降り注ぐ山の斜面にオレンジ色の実り。キンと冷たい空気が頬をなでても、のどかなみかん畑の風景を眺めていると、ほっこりと温かな気持ちになってきます。

国道501号から細い道をくねくねと山間に向かって走ります。すっかり冬支度をととのえた農家の軒先を過ぎたところに、一軒のお寺がありました。

ここ「来照寺」は17代続く古刹(こさつ)。境内には「男はつらいよ」「東京物語」など、天水町生まれの映画俳優・故笠智衆(りゅう・ちしゅう)さんが出演した懐かしい映画看板が立っています。来照寺は笠智衆さんが生まれ育った寺なのです。


今では見かけなくなった「来照寺」の映画看板。3年前に看板絵師の方々から寄贈されました

「これは熊本・玉名の看板絵師の方が描いて寄贈してくれたんですよ」と住職の笠哲郎さん(54)。笠智衆さんは住職の祖父の弟で、哲郎さんにとっては大叔父にあたります。

生前の笠智衆さんの素顔は、映画の役柄そのままの朴訥(ぼくとつ)で控えめな方だったそうです。

地元の人が大げさに歓迎しないよう、家族が気を使わないようにと、帰省の際は連絡なしで突然帰って来ていたそうです。

「智衆さんは半年間、この寺で住職をしていたんです。僧服を着た姿はりりしくて、近所の女性が見に来ていたそうですよ」と話してくれたのは住職の妻・久美子さん(51)です。

大叔父との思い出話が尽きない哲郎さん。下積みが長くても夢をあきらめなかった笠智衆さん。名監督に愛され、有名俳優となってもおごらず謙虚で、共演者やスタッフに深く慕われていたというその人柄を、今でも哲郎さんは誇りに思っています。


「智衆さんは、亡くなる直前まで『天水に帰りたか』と言われていたそうです」とエピソードを話す「来照寺」住職の笠哲郎さんと妻・久美子さん

「来照寺」の山門脇には笠智衆生誕の碑が建っています

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歴史の長さが伝わってくるよう

住職夫婦に見送られ、お寺を辞して坂道を下って行くと、何やら歴史のありそうな古い屋敷が見えてきました。中をのぞくと、広い庭が広がっています。

「この家は明治32年に建てられて、今でも自宅として使っています」と田尻君子さん(76)。聞けば田尻家は代々医師の家で、明治30年に田尻寅雄さんがこの地に開業。同時に回春病院の院長になり、ハンナ・リデル、エダ・ライトとともにハンセン病治療に携わりました。

「こう庭が広いと、掃除も大変(笑)」とご主人の宗之さん(82)が話すように、古木や苔むした庭石を配した庭を観ていると、田尻家が刻んだ歴史の長さが伝わってくるようです。

古い写真と比べても、昔とほぼ変わらない田尻家の庭。右下は明治41年頃の写真

「漱石が使った紫檀の座卓なんですよ」と誇らしげな田尻宗之さん。と、その横で「なーん、漱石さんが寝泊まりしていた前田家の部屋にあっただけで、漱石さんが使ったかどうかはわからんとよ」と君子さんが笑います。いずれにせよ、年代物には間違いありません


左から、田尻宗之さん、君子さん、自宅でデイトレーダーをしながら庭の手入れをしているという息子の勝裕さん(47)

古い商店が並ぶ一画に立つ「天子宮」。境内には樹齢700年の銀杏の木があり、案内板によるとギンナンは加藤清正に献上されていたとか