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(1)代々伝わる人形芝居 そのルーツは淡路島

(1)代々伝わる人形芝居 そのルーツは淡路島

2014年9月20日
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九州で唯一の人形浄瑠璃専用劇場「清和文楽館」

空にはうろこ雲が見える日もある、今日この頃。山里の田んぼの畦(あぜ)には、彼岸花が咲いています。そんな小さな秋の気配を感じたくて、清和の里(上益城郡山都町)を訪れました。

清和は文楽の里として名高く、その文化は160年ほど前から受け継がれています。 現在「清和文楽館」は、年間200回前後の公演を行うほどの盛況ぶりで、全国から10万人もの人々が訪れます。 

清和文楽は江戸時代末期の嘉永年間(1848~1853年)、淡路島より訪れた旅の人形芝居の一座から、農民たちが人形を譲り受けたことに始まると伝えられます。畑仕事が終わった後、懸命に芸を磨いた村人たちは、広場や神社の農村舞台で演じてきました。

文楽人形は、一体の人形を「足遣い」「左遣い」「主遣い(おもづかい)」の3人で操るため、3人の気持ちと呼吸がぴったりと合わなければ、生きているようには見えません。

「“足遣い10年、左遣い20年、主遣い一生”といわれるほど、長い修練が必要です。一生勉強ですね」と語るのは、農業を営み、現役の人形遣いとして活躍する「清和文楽人形芝居保存会」会長の倉岡輝司さん(67)です。

「ゆらゆらと揺れるろうそくの明かりの中で見た、幻想的な奉納文楽が忘れられない」と、子どものころに見た人形芝居に思いをはせるのは、大川阿蘇神社宮司の渡邊民生さん(67)。

同神社の奉納文楽は一時途絶えましたが、1993(平成5)年に薪文楽として復活。

地元の人たちは、重箱に詰めたご馳走と、酒を酌み交わしながら舞台を楽しむそうです。

昭和48年、人形浄瑠璃の練習に励む人たち。倉岡今朝雄さん(写真左)は、倉岡輝司さんの祖父(昭和48年10月22日付熊日夕刊掲載)

「今も若手が淡路島に文楽の修業に行っとります」と、うれしそうに語る渡邊民生さん(左)と倉岡輝司さん

文楽は世代を超えて、子どもたちにも受け継がれています。来春の発表会に向けて練習を重ねているのは、山都町立清和小学校6年生の13人の児童たちです。

演目は「傾城 阿波の鳴門(けいせいあわのなると)〜巡礼歌の段」。

「主人公の女の子は、小さかころばばさんに預けられるばってん、親を探して旅に出ます。親たちはわけがあって追われる身で、訪ねてきた女の子と再会するけど、親子と名乗れない、そがん物語です」と、坊主頭の愛嬌のいい藤本竜清くん(小6)が教えてくれました。

三味線を担当する子、人形を遣う子、語りをする子と、子どもたちの技とは思えない堂々たる実力に驚きます。

「宿題は終わったとかい?」という同館の指導者の問いに、文楽人形の手を遣って左右に振り「ううん、まだ…」と答えを返す子がいて微笑ましく、すでに人形が体の一部のように操れるほどに、彼らの練習の成果がうかがえます。

「難しいところもあるけど、みんなでやる舞台は楽しいです」と口々に答える表情に、誇らしそうな“演者の顔”を見たのでした。

前列左から、藤本竜清くん、山下妃羅さん、梅田幸太郎くん、田上翼くん、佐藤太一くん、梶原風偉斗くん、橋口紗也加さん、武原一輝くん。後列左から、大濱未結さん、藤川彩音さん、野口真緒さん、田中きらりさん

三味線を担当する女子たち。独特の音色をかなでます

親を探して旅をする娘役の人形を操る、子どもたち。その顔は真剣です

語りを務める佐藤太一くんと田上翼くん

いつもみんなと一緒に練習している田島麻衣華さん

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清和文楽館