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(1)かつては 酒造で繁栄 今も残る 白壁の蔵

林田能寛の生家と言われる「御船街なかギャラリー」

(1)かつては 酒造で繁栄 今も残る 白壁の蔵

2014年7月5日
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町を貫く御船川。かつては船着き場があり、にぎわいをみせました。近くには、肥後藩の米蔵もあったそうです

梅雨の合間を縫って訪れた御船川は、雲間から淡い光がさして、水面がきらきらと輝いていました。幕末から昭和の初めにかけて、御船川の豊かな清流と、良質の米で仕込まれる酒造りの町として栄えた御船町。

町を東から西へ貫く御船川沿いには、白壁の酒蔵が建ち並び、

“宵のもとすり、夜明けのこしき 今朝の洗い場の身の冷たさよ”

と米を洗う女性たちの歌声が響き渡ったそうです。

当時、酒造りは「雑穀屋」「萬屋」といった商家によって営まれていました。目抜き通りだった本町通りを歩くと、商都としてにぎやかだったころの気配が漂い、手入れされた軒先の草花から、今も人々の暮らしが息づいているのが感じられます。

石垣が築かれ、白壁の酒蔵が建ち並んでいた御船川添いの風景(資料写真=御船町提供)

郡内から農産物や肥料用の石炭、海産物などが集まり、昭和の初めごろまでは商都として栄えました(資料写真=御船町提供)


地域の人たちの交流の場

大きな白壁の建物が目に入りました。1802(享和2)年に建てられた江戸時代後期の豪商・林田能寛(よしひろ)の生家と言われています。現在は「御船街なかギャラリー」として、ミニコンサートが行われるなど、地域の人たちの交流の場となっています。

切妻造りの主屋に足を踏み入れると、人々でごったがえした商家のにぎわいが浮かんでくるようです。裏庭には、酒造りに利用された大きな井戸が残り、その北側と南側には土蔵造りの酒蔵と米蔵が当時のままの姿でたたずんでいます。

林田能寛の生家と言われる「御船街なかギャラリー」

林田能寛の生家と言われる「御船街なかギャラリー」

「ブライダルの撮影にもぴったりの場所です」と語る御船町観光交流推進課の高橋寛敦さん(39・左)と伊藤佳子さん(37)

 

お問い合わせ

御船街なかギャラリー

  • 上益城郡御船町御船794
  • TEL.096-282-1226
  • 営/9時~17時
  • 休/月・年末年始
  • ※月曜日が祝日の場合は開館し、その翌日が休館
  • ※施設利用申し込みは、御船町役場観光交流推進課へ(096-282-1226)

御船町が生んだ先哲たちの偉大な功績

“能寛(のうかん)さん”の愛称で親しまれた林田能寛は、町の発展のために私財を投じ、1855(安政2)年に日向往還の難所である八勢川に石橋を架けました。八勢目鑑橋(やせめがねばし)は、今も渓谷をまたぐように凛とした姿を見せています。

この石橋にほど近い山懐に、御船町が生んだ幕末の志士、宮部鼎蔵(ていぞう)と弟の春蔵を記念して作られた公園「鼎春園(ていしゅんえん)」があります。公園に渡る初夏の風に気づかされるように、御船町が生んだ先哲たちの偉大な功績を思えば、感慨深いものがあります。

日向往還の難所にかかる八勢目鑑橋

宮部鼎蔵と春蔵を記念して作られた公園「鼎春園」

幕末を生き抜いた宮部鼎蔵