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(1)明治の姿伝える三角西港 今でも驚く先見性ある設計

(1)明治の姿伝える三角西港 今でも驚く先見性ある設計

2014年6月7日
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三角西港の埠頭。美しい石積みは長い時間を越え今も頑強です

緑風が渡る三角浦の入江。すがすがしく晴れた日、空のまぶしさを映して、視界には深い藍色の海が広がります。

停泊した船が、ゆるやかに揺れる海面にプカリプカリと浮かび、埠頭(ふとう)では太公望たちがのんびりと釣糸を垂らしています。

その穏やかな光景からは想像できないほど、かつてこの町は、港町のにぎわいと華やかさにあふれていました。

1887(明治20)年。三角西港(当時は三角港)は、宇土半島の西端の三角浦に近代的な都市機能を備えた港湾として誕生しました。明治の三大築港と呼ばれ、貿易、行政、司法などの近代化に必要な施設を備えた“都市”として築港されました。

埠頭では釣りをする人の姿を多く見かけます

市の文化財に指定されている、「旧高田回漕店」

「三角って、本当にステキな所です」と三角町振興株式会社の牛島高子さん(35)。三角町の情報や企画を発信しています

水路の溝の三角と三角岳の頂上が対照的にデザインされています

「ムルドルハウス」で人気の「ムルドル通り」。サクッとした食感とアーモンドの風味が絶品です。1個155円

港の建設が始まったのは1883(明治16)年。指揮を執ったのはオランダ人水理工師、ローエン・ホルスト・ムルドルでした。山高帽をかぶり、ヒゲをたくわえた貫禄のあるムルドルは、齢(よわい)30を越えたばかりだったそうです。

彼が描いたものは、世界に通用する湾岸都市。全長756mにもおよび、現在も強固な埠頭の石積みがその証しです。

潮の干潮を利用した町を囲む水路もそうです。生活用水を潮の満ち引きで循環させるというものです。埠頭にたたずむ、アコウの木の前にある水路の溝は、底石があるため底辺の短い台形に見えます。三之橋の真ん中から水路に沿って山手を見ると、三角岳の山頂とまっすぐにつながります。

また、現在の国道57号の道路の幅は、築港当時のままで、その先見性に驚かされます。

しかし、1899(明治32)年に九州鉄道三角線が開通すると、現在の三角東港に本港としての機能が移っていきました。

けれど、そのことで、明治の日本を代表する近代的港の姿を今に残せることになったのかもしれません。

エキゾチックな雰囲気漂う三角西港の一角には、そのムルドルの名前を冠した洋館づくりの物産館「ムルドルハウス」があります。

かつての倉庫だった建物を改装した「三角築港記念館(和蘭館)」

築港当時の港の迎賓館的存在だった「浦島屋」。当時の写真を元に再現されています