江戸時代には年間約20万俵(約1万トン)の年貢米を取り扱っていた「船着場跡」。階段や堤防など、美しい石積みの風景が続きます

緑川や加勢川の河口に位置する川尻。町の起こりは、鎌倉時代に河尻三郎源実明が河尻城を築き、港を設けたのが始まりとされ、室町、安土・桃山時代を経て加藤清正から細川氏へと時代が移り変わっても熊本を代表する港町として栄えました。

川尻には、「熊本藩川尻米蔵跡」として国の指定を受けている史跡があります。まず、緑川水系の地域から集めた年貢米を収納した米蔵「外城蔵(とじょうぐら)跡」、大阪へと荷船を送り出した「船着場跡」。そして、住民らが対岸に渡るのに使った「御船手(おふなて)渡し場跡」の3カ所です。

お堀として河尻城の守りを固めた無田川。川尻から熊本間は、無田川を使って米や物資の運搬が行われていました

広さ約200坪で、一度に約2万俵の米を納めることができた「外城蔵跡」。熊本地震の復旧工事のため公開は平成33年度予定

石畳や石段が残る渡し場の風情が、人でにぎわった当時の繁栄ぶりを教えてくれるようです。川岸に出ると、流れのおだやかな加勢川とJR鹿児島線の赤い鉄橋が間近に見えます。時折吹く川風が心地よく、ふと、忙しく働いた男たちの癒やしの涼風になっていたのではないかと、想像してみます。

「明治になり、年貢米の廃止と同時に港の周辺も静かになったそうです」と話すのは、今回案内してくれた「くまもとよかとこ案内人の会」ガイドの長谷川律子さん(69)です。

「子どもの頃は映画好きの父に連れられて、川尻の映画館によく来ていました」と「くまもとよかとこ案内人の会」の長谷川律子さん

さて明治維新後、国内で最後の内戦となったのが西南戦争です。その薩摩軍を率いたのが西郷隆盛でした。川尻には薩摩軍が本営を置いたとされる「今村家住宅」があります。また、薩摩軍の野戦病院となったと伝えられる「延寿寺」もあり、NHK大河ドラマの「西郷どん」にゆかりの地を巡るのもいいでしょう。

西南戦争開戦後、野戦病院となった「延寿寺」。遺族によって慰霊碑が建てられ、今でも毎年4月には慰霊祭が執り行われています

またほかにも、加藤清正ゆかりの寺「法宣(ほうせん)寺」や、現在、修復中の「川尻公会堂」など、水運で栄えた川尻には歴史ある建築物が点在しています。

船着場跡/外城蔵跡/御船手渡し場跡

船着場跡

熊本市文化振興課 / 096-328-2039

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