初代院長を務めた、東京の「女子学院」の校舎をバックに立つ、矢嶋楫子(女子学院所蔵)

益城町の東部、西原村との境に接する杉堂地区。阿蘇外輪山の尾根筋に挟まれたこの地は、幕末から明治、大正にかけて、教育や女性の地位向上などさまざまな分野で活躍し、後に「肥後の猛婦」と称された矢嶋家4姉妹のふるさとです。

熊本女学校(後の熊本フェイス学院高)の発展に尽力した3女の竹崎順子、徳富蘇峰・蘆花を産み育てた4女の徳富久子、5女で横井小楠を妻として支えた横井つせ子、そして日本の女性の地位向上に生涯をささげた6女の矢嶋楫子(かじこ)。

矢嶋家6女の矢嶋楫子。離婚後上京し、40歳で教員伝習所を受験。若い女学生に混じって勉強し、教員として自立する道を選びました(女子学院所蔵)

3女の竹崎順子(開新高等学校所蔵)

4女の徳富久子(熊本市所蔵)

5女の横井つせ子(横井和子氏所蔵・熊本大学付属図書館寄託)

益城町は、この4姉妹の活躍と功績を紹介する「四賢婦人記念館」を設け、情報発信に力を入れています。以前は津森小学校横にあった記念館が熊本地震で被災し、4人の実家があった場所近くに移り、2019(平成31)年4月にオープンしました。

建物は、矢嶋家の旧家の写真や資料を基に再現され、4姉妹だけでなく、矢嶋家との関わりが深い横井小楠や徳富蘇峰・蘆花など、熊本の先哲らの資料も紹介されています。

「女性の地位が今より低かった時代に、矢嶋家の女性たちは困難をものともせず、信念を貫く人生を送りました。その中で、6女・楫子の歩みを振り返る映画がこの夏にクランクインします」と話すのは、益城町教育委員会生涯学習課の堤英介さん(45)です。

映画は故・三浦綾子の小説「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」を原作に、益城町でのロケも検討されているそうです。そんな楫子の話を堤さんに詳しく教えてもらいました。


矢嶋楫子が歩いた生涯 幼少期のエピソード

楫子は幕末に惣庄屋などを務めた矢嶋忠左衛門直明の6女として生まれ、幼名は勝子といいました。母親の鶴子が子どもたちにどう接したかを物語る逸話が残っています。「勝子が妹をおぶって読書に熱中していると、母の鶴子が『命を背負っているのですよ。子守か読書か、どちらかにしなさい』と注意したそうです」と堤さん。

矢嶋楫子の話を聞かせてくれた、益城町教育委員会生涯学習課の堤英介さん

鶴子の教育方針は「してみせて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かぬ」というもの。熊本女学校の校長を務めた3女の順子は、頭巾姿でかごを持ち、校庭の紙くず拾いをする姿がよく目撃されていたそうです。

矢嶋家の家族は、父の直明の転勤で益城から芦北郡に移り、1841(天保12)年には惣庄屋として赴任した直明とともに中山手永(現・美里町)に引っ越します。当時は、村で天然痘が大流行し、幼い命がいくつも失われていたそうです。

既に、予防の決め手となる種痘が西洋から入っていましたが、「種痘を受けると牛になる」などの風説もありました。「子どもたちに種痘を施すのをためらう直明に、幼い勝子が『私が最初にやります。そうすれば、村の方々も安心するから』と自ら手を挙げたというエピソードも残っています」と堤さんは話します。

四賢婦人記念館

上益城郡益城町杉堂1250

営/9時半~16時半

休/月曜(祝日の場合は火曜)

入館料/大人200円(160円)、小中学生100円(80円)
※()内は団体割引額

益城町教育委員会生涯学習課

上益城郡益城町木山236(益城町交流情報センター内)

TEL.096-286-3337

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