下のイラストで奥の森の中に描かれた「守山城」があった高台からの眺め

イラスト提供=菊池市役所

菊池市の中心部、菊池市民広場に立つ菊池武光の騎馬像は、さわやかな五月晴れの空をバックに威風堂々、今にも台座から飛び出しそうな姿を見せていました。

菊池一族は平安時代の大宰府の高官の出身だったようで、紫式部の「源氏物語」に、肥後の国に広く勢力を持つ兵(つわもの)として登場する人物のモデルが菊池一族だったとされています。その後、室町時代後期まで24代続いた一族の中で、ひときわ威光を放つ武光は、現在の熊本市南区城南町で幼少期を過ごしました。

鎌倉幕府が滅んだ後、後醍醐天皇の建武の新政が立ち行かなくなると、足利尊氏は1336年に光明天皇(北朝)を擁立。後醍醐天皇は吉野(南朝)に移り、二つの朝廷が半世紀余り併存する南北朝時代に突入します。後醍醐天皇は南朝の勢力を広げるため、自らの皇子たちを全国各地に派遣。征西将軍として九州に派遣された懐良親王を迎え入れたのが、44年に家督を継いでいた武光でした。

菊池武光の騎馬像(右)とイラスト(左)。人気の理由が分かります

武光は59年、懐良親王を擁して現在の福岡県小郡市や大刀洗町で北朝方との筑後川の戦い(日本三大合戦のひとつ)に臨み、撃破します。北朝方6万、南朝方4万の兵が激突し、総大将の親王も深手を負う一大決戦でした。ちなみに、大刀洗の地名は、勝利した武光が自らの刀の血を川の水で洗ったとされる故事に由来するそうです。この戦いの後、武光は九州における北朝方の拠点だった大宰府を制し、10年余りにわたって九州を平定。菊池一族は最盛期を迎えました。

そんな百戦錬磨の猛将でしたが、「広場の武光公はすごくイケメンです」と話すのは、菊池市役所随一の一族ファンといわれる、菊池一族プロモーション室の佐伯明日香さん(36)です。なるほど、騎馬像の武光のキリリとした顔立ちは眼光鋭く、まさにイケメンでした。

32カ所あるゆかりの地にあるQRコードを読み込み、表示される画像を保存すると、ポイント数に合わせてグッズ(写真左)がもらえます。詳細は、菊池一族プロモーション室に問い合わせを

菊池市役所・菊池一族プロモーション室の佐伯明日香さん。「菊池一族の歴史を知れば知るほど魅了されます」

菊池市役所・政策企画部企画振興課 ・菊池一族プロモーション室

菊池市隈府888

TEL.0968-25-7267

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