小田地区にある「金栗四三の住家」

田園風景が広がる玉名市の小田地区にある、晩年の四三が暮らした家を訪ねました。和水町で生まれた四三は、ストックホルム五輪の2年後、22歳で遠縁に当たる小田地区の資産家・池部家の養子となります。ドラマの展開と少し異なりますが、そこで医者の娘だった春野スヤと見合い結婚して、跡取りのいなかった池部家を継ぎました。

往年の暮らしぶりがわかる住家の内部。近所には、四三の墓もあります

四三が毎日水浴びをしたという井戸のポンプ

縁側には四三が腰掛けて庭を眺めていたというロッキングチェアが置かれています

ストックホルム大会の雪辱のため、四三は結婚後すぐ、東京へ戻ります。そんな彼を、玉名の地に残る養母の池部幾江と妻のスヤ、そしてのちに生まれた子どもたちが支えました。四三は、手紙でこまめに家族とのコミュニケーションを図っていたといいます。四三はその後も東京と郷里を行き来し、現在の箱根駅伝の創設にかかわったり、東京女子師範学校で女子スポーツの普及に力を入れたりするなど、日本のスポーツ振興に尽力します。

四三が晩年を過ごした家は、現在「金栗四三の住家・資料館」として公開されています。「小田地区金栗四三PR推進部会」の部会長・船津和利さん(69)に話を聞きました。

左から「PR推進協議会」の船津和利さん、野中昭さん(71)、関章さん(68)

「金栗先生が学校に来ると、子どもたちはみんなついて走って回りよったそうです。先生は80代になってもよくこの辺りを歩いておられました。車ですれ違いざまに、『先生、家まで送りましょうか?』と声をかけても『いいよ、僕は歩いて帰るから大丈夫、大丈夫』とおっしゃる。背中をしゃんと伸ばして歩く姿がかっこよかった」

また近所に住む野中昭さん(71)は、「『体を動かすのが自分の仕事』というのが金栗先生の口癖でした。雨の日も傘をさし、1日2回は田んぼ道を歩いておられました」と話します。そんな近所の人たちの思い出話から四三の実直な人柄がうかがえます。

「金栗先生への感謝を込めて、来て良かったといわれるような地域をつくろう」。小田地区の住民らは大河ドラマのスタートに先駆け、四三が娘たちと遊泳した大きな池の周囲に散策路をつくりました。重機を持ち込んで竹林を切り開き、伐採した竹をチップにして敷き詰めた遊歩道は、手作りとは思えない仕上がりぶり。木漏れ日と笹の擦れ合う音に心を澄ませていると、「すっすっ、はっはっ」とうれしそうに走る四三の息遣いが聞こえてきそうです。

JR新玉名駅の前には金栗四三の銅像も

遊歩道のある金栗瀬戸口公園には、湧水や小川があり、初夏にはホタルが舞う姿も見られるそう

金栗四三住家・資料館

玉名市上小田600

TEL.0968-73-3057

営/9時~17時

休/なし

料/無料

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